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このトピックには402件の返信が含まれ、18人の参加者がいます。4 日、 12 時間前makiko makiko さんが最後の更新を行いました。

10件の投稿を表示中 - 391 - 400件目 (全403件中)
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  • #6032 返信
    takako
    徳田貴子

    皆さまお久しぶりです!いかがお過ごしでしょうか?小野先生の書き込みにもあったグバイドゥーリナ、ピアノのための作品も多く残しており、シャコンヌはアメリカではリサイタルや国際コンクールの定番の曲にもなっています。バロック様式のシャコンヌを用いながら、拡張された多様なハーモニー、リズムを用いて幅広い感情を表現する、パワフルな曲です。ぜひ聞いてみてください!

    今日はアメリカの大学での授業についてのお話です。音楽でも、それ以外の授業でも、生徒がすでに予習をしていることを前提に授業が進められていきます。予習範囲は、教科書20−30ページ分ということもあり、留学当初はついていくのが大変でした。実際の授業では先生が知識を教え込むのではなく、生徒が予習で得た知識をもとに、討論形式でさらなる課題を先生とともに解決していくという手法が取られます。多くの授業では、テストやエッセイ(論文)課題の他に、”participation(参加率)”という項目があり、どのくらい授業で発言したかということが、「授業に対する貢献度」として評価されるので、皆必死に自分の意見を言います。

    マイアミにいた時に印象深かった授業の一つは「Aesthetics of Music(音楽の美学)」という科目です。プラトンやアウグスティヌスなど古代ギリシャからSusanne Langerといった20世紀の哲学者が音楽をどのように解釈したかという授業でした。テストで問われる内容が、「時代の異なる2人の哲学者がどのように音楽を論じているか、またその類似点、相違点を曲の実例を用いて数ページで説明しなさい」というものでした。授業ではそれぞれの哲学者の考え方について生徒同士、意見交換するというスタイルで、自分の意見を論理的に説明する力が求められます。授業の最後にいつも先生が、”Today, we discussed ….(今日わたしたちは・・・について議論しました)”という所に、先生と生徒が対等に議論するアメリカの良さをいつも感じていました。

    授業で得た知識を応用して、自分の考え方を築き上げていくというのはこれからを生きる上でも必要なことかもしれませんね。

    #6049 返信

    宮澤功行

    徳田先生日本🇯🇵とは真逆のAmerica🇺🇸の授業光景を書き込み🙇🏻有り難う御座いました。

    #6065 返信
    makiko
    makiko
    モデレーター

    こんにちは。

    この度の平成30年7月豪雨、平成30年台風第21号、および平成30年北海道胆振東部地震災害により被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

    1838年9月10日の今日、ベルリオーズ作曲 オペラ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』Op.23、H.76がパリオペラ座で初演された日です。イタリアのルネサンス期を代表する彫刻家ベンヴェヌート・チェッリーニ の生涯に心を打たれ、感動したベルリオーズは、1834年の5月頃からオーギュスト・バルビエ、レオン・ド・ヴェイリー、アルフレッド・ド・ヴィニー、エミール・デジャンら台本作家たちと共に、チェッリーニを主人公としたオペラ・コミックを構想。8月末に台本は完成、作曲に着手。
    1836年10月に草稿が完成、1837年にオーケストレーションを施します。序曲はその後に作曲されました。作曲に2年を費やしましたが初演は不評に終わりました。
    失敗の原因は、グランド・オペラのスタイルを期待する聴衆に合っていなかったことや、台本が当時流行っていたオペラ・コミック向きでもなく、当時の音楽界でベルリオーズが手厳しい音楽批評を書き続け、業界関係者から著しい反感を持たれていたことも大きな原因でした。
    ベルリオーズはオペラ運営者の顔色や、聴衆のレベルや好みに合わせて作曲するような顧客志向の作曲家ではなかったのでこのような悲劇に見舞われました。
    ベルリオーズは『回想録』の中で以下のように述べています。
    「私はベンヴェヌート・チェッリーニの生涯の幾つかのエピソードに非常に心を打たれた。私はこれが歌劇のためのドラマティックな題材として、興味あるものを提供してくれると考えたが、これが不幸の原因だった」
    「私がオペラ座でかくの如く拷問にかけられて以来、すでに14年がたった。私はもう一度、この不幸なオペラの総譜を入念に、冷静に且つ公平を心掛けて読み返してみた。だが、楽想の変化の豊かさ、精彩のある情熱、その音楽的色彩の輝きを認めざるを得ないのです。それは恐らく今後の私の作品にも例がないであろうと思うほどであり、この作品がもっと良い運命を辿るべき価値があるということを思わざるを得ないのです」

    Ricostruzione anticipata il prima possibile

    #6081 返信
    makiko
    makiko
    モデレーター

    おはようございます。
    今日の札幌は21℃。毎日余震が来ますね。皆さん気をつけてお過ごしください。

    1930年9月18日の今日エルガー作曲『威風堂々』第5番ハ長調が、ロンドン キングスウェイ・ホールにおいて エルガー本人の指揮とロンドン交響楽団で初演された日です。
    生前に作曲、出版した5曲のうち、第1番から第4番は1901年から1907年にかけて作曲され、第5番は晩年の1930年に作曲されました。遺稿から見つかった第6番は未完成であり、アンソニー・ペインによって補筆・完成されました。
    原題 “‘Pomp and Circumstance” は、シェイクスピアの戯曲『オセロ』第3幕第3場の台詞
    “Pride, pomp and circumstance of glorious war”
    「名誉の戦争には付物の誉れも、飾りも、立派さも」から取られ、pomp「壮麗、華麗」、circumstance 「儀式張った、物々しい」で、『威風堂々』という意訳ではないです。『沙翁全集』第四巻『オセロ』は「錦の御旗や何やかや、威武堂々の軍装束」との訳されていたようです。
    『威風堂々』と言う場合、第1番、その中間部の旋律を指すことが多いですが、このタイトルは行進曲集全体に与えられた題名で、この旋律自体に付けられたものではない。イギリスではこの旋律はもっぱら『希望と栄光の国』 (Land of Hope and Glory )と呼ばれ、BBCプロムスで第1番に合唱を付けて演奏されるときも『希望と栄光の国』として扱われています。
    『希望と栄光の国』は「イギリス第2の国歌」、「イギリス愛国歌」と称されるほど愛されている曲です。

    Buona giornata!!

    #6103 返信
    makiko
    makiko
    モデレーター

    こんにちは!!
    今日の札幌は16℃。今にも雨が降ってきそうです。本日10時半からふきのとうホールにおいて毎日学生コンクールピアノ部門が開催されております。明日は10時から。
    札幌コンセルヴァトワールの生徒さんも出演されています。頑張ってください。

    1869年9月22日、ワーグナー作曲 楽劇「ラインの黄金」がミュンヘン宮廷歌劇場にて、指揮はフランツ・ヴュルナー 、アウグスト・キンダーマン(ヴォータン)ヴィルヘルム・フィッシャー(アルベリヒ)インリヒ・フォーゲル(ローゲ)で初演されました。
    台本はワーグナー自身で書かれ1852年11月に完成、音楽は1854年に完成されました。
    『ラインの黄金』は、歌劇『ローエングリン』に続くとともに、後に「楽劇」と呼ばれるようになった最初の作品で物語は、『エッダ』、『ヴォルスンガ・サガ』など北欧神話の物語を軸にドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』を始めとするドイツ英雄伝説や、直接引用されてはいないですが、ギリシア神話の影響もうけています。
    ワーグナーの自伝『わが生涯』によると、1853年9月5日、イタリアのラ・スペツィアに滞在していたワーグナーは異様な気分を体験し夢遊病のように、水の流れに身を沈めていくような感じに襲われ、身体を押し包んで流れる元素としての水が全体の最初の要素である変ホ長調の和音に転化、これが『ラインの黄金』の序奏となったとされています。

    Buona giornata!!

    #6114 返信
    makiko
    makiko
    モデレーター

    おはようございます。
    今日の札幌は曇の17℃。今夜から雨がちらつき明日は台風接近で荒天です。早めの対策をして下さい。

    本日13:15より、札幌パークホテル エメラルドBにおいて第25回実年ピアノコンサートが開催されます。
    毎年出演者の皆さんの音楽を愛する気持ちがが伝わり,心あらわれる素晴らしいコンサートです。25年連続出演者もいらっしゃいます。発表会に出演しなくても25年通い続けられている方も多数いらっしゃいます。
    入場無料ですのでお近くの方は是非いらしてみて下さい!

    Buona giornata!

    #6134 返信
    makiko
    makiko
    モデレーター

    こんにちは!今日の札幌は晴れ間が見えてきて18℃。日に日に寒くなっております。
    体調管理には十分気をつけて下さい。

    近々、10月20日キタラ大リハーサル室、11月3日三星ハスカップホール、11月18日旭川神楽公民館木楽館においてブルグミュラーコンクールが開催されます。
    頑張ってくださいね。

    10月8日の今日、ガリーナ・ウストヴォルスカヤ作曲 交響曲第2番「トゥルー・アンド・エターナル・ブリス」が、ウラディーミル・アルトシュレル指揮、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団でレニングラードにおいて初演されました。
    小管弦楽に声楽がつき、テキストは10世紀から12世紀のラテン語。歌うと言うよりはつぶやきと短い語りです。
    ショスタコーヴィチが自分を越えたと認めた女弟子ウストヴォルスカヤの実質的に最初の独創的交響曲です。

    Buona giornata!

    #6143 返信
    makiko
    makiko
    モデレーター

    こんにちは!!今日の札幌は日差しが届いてすごしやすい体感の18℃。晩秋の気配です。

    1933年10月15日、ショスタコーヴィチ作曲「ピアノ協奏曲 第1番 」ハ短調 作品35(正式名称ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲ハ短調」)が、自身のピアノとフリッツ・シュティードリー指揮、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の演奏によって初演されました。
    この初演の成功によって、作曲家とソリストとしても大きな成功を収めることとなりました。
    1933年の3月6日から7月20日にかけて作曲し、トランペットの独奏パートは当時レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の首席トランペット奏者のアレクサンドル・シュミュトの手腕を想定して作曲したといわれています。
    自作や他人の作品からの引用が全曲に散りばめられていて、『24の前奏曲』との類似はテーマ、手法や性格的な面で、他、劇付随音楽『ハムレット』作品32、サーカス・ショウの劇付随音楽『条件付きの死者』作品31、そして終楽章のトランペット独奏は、ドレッセルのオペラ『あわれなコロンブス』への序曲作品23の1といった未出版の作品からの引用もあるといわれています。
    他の作曲家の作品もパロディ化させて登場し、第1楽章の第1主題はベートーヴェンの『熱情ソナタ』の引用と、ギャロップのフィナーレは『失われた小銭への怒り』のモティーフがピアノのカデンツァで明確に正体を表し、また、ハイドンの『ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.XVI-37』から引用されています。オーストリア民謡『愛しいアウグスティン』とイギリス民謡『泣きじゃくるジェニー』として知られた歌も引用しています。

    Buona giornata!!

    #6147 返信

    Franboise
    キーマスター

    小野先生、ショスタコーヴィッチの第一番のコンチェルト初演に関する興味深いお話をありがとうございました。このコンチェルト、何年か前に演奏し、音源をユーチューブでもアップしております。
    とてもスリルのある曲で、本番を迎えるまで恐怖の每日でしたが、トランペットとのかけあいや、色々な作品のパロディーが登場して面白い曲でした。来年の6月には札幌で2番のコンチェルトにチャレンジする予定ですので、またご案内させていただきます。



    #6157 返信
    makiko
    makiko
    モデレーター

    こんばんは!
    今日の札幌は16℃。今日は比較的すごしやすい寒さでしたが、今週くらいから暖房をつけ始めたご家庭が多いようです。
    体調管理には十分注意してください。
    むじか先生書き込みありがとうございました。このコンサート覚えてますよ!!素晴らしかったと記憶しております。
    今週木曜日はむじか先生のランチタイムコンサートですね。札幌から応援しております!!
    11月の札幌でのコンサートも楽しみにしております!!

    1897年10月23日(グレゴリオ暦)の今日、スクリャービン作曲ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20 が、ワシリー・サフォノフ 指揮、作曲者自身の独奏により、オデッサにて初演されました。作曲者やサフォノフの手紙によれば演奏は成功したようです。
    この曲は、管弦楽曲しか書かなかったスクリャービンが、ピアノと管弦楽のための幻想曲を除き、唯一残したピアノと管弦楽のための作品です。ラフマニノフと同じ所にいた頃の作品で、ラフマニノフのピアノ協奏曲を彷彿とさせる内容です。
    スクリャービンがこの曲にとりかかったのは1896年10月、翌11月にはいったん書き上げ、オーケストレーションにとりかかったことがパトロンであるベリャーエフに伝えられています。ベリャーエフは1897年4月に手稿を受け取り、リムスキー・コルサコフとリャプノフに送りました。(ベリャーエフが出版しようとする新作をコルサコフとリャプノフで吟味するという取り決めがあったから)。リムスキー・コルサコフはこの作品を未熟で粗雑であると酷評。これを受けたスクリャービンは作品の練り直しにとりかかり、同年5月に再度ベリャーエフに送付しまた、リムスキー・コルサコフに見せたところ、オーケストラが弱いことを強く批判。しかしスクリャービンはこの批判を受け容れなかったといわれています。

    Buona giornata!!

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